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今年の締めとして思うこと

投稿者:林 真司/ 投稿日:2018年12月31日/ 更新日:2020年2月5日


 2018年も今日が最後になった。誰もがその年最後の日は中身が違えど、何か違った感情を抱くはずだ。フェイスブックやブログなどでも1年の締めくくりの気持ちや来年の抱負などを公開する方も多いはずだ。私もその中に漏れず、特別な感情を抱いている一人ではあるのだが、正直に言って今年は今までの中で一番感情の揺れが薄い年越しとなりそうだ。そしてこれで良いと思っている。

 

 なぜ感情の揺れが薄いかと言うと、理由は様々あるかもしれないが、まずは、一喜一憂していられるほど、今年は成果を出していないので、年越しなどどうでも良いといった感じだ。多分今日だって(毎年のことだが)、このブログを書いたら、年を越すのを待たずに床に就くだろうし、特別番組など見向きもしない。やらなければいけない仕事もたくさんあるので、そっちを優先したいのだ。だが、これはやはり家族とか、農村独自の風習、弊害かどうかはわからないが、墓参りは絶対にいかないといけないとか、一人で部屋に籠ってPCをいじる、一人でネットや本などから情報を得る等は基本的には理解してくれない。農村はやはりまだアップデートされていない部分が多いので、仕事といえば畑で体を使う、それ以外は仕事として認識されなかったりする傾向にある。最近になって、この事実にやっと気づき始めた。畑仕事をしている人が一番偉く、畑に出ずに違うことをしていると変人扱いされる。少なくとも仕事をしているとは思われない。だから、他人の時間を図々しく奪ってくるので、やるべきことが進まない。本当であれば、ブログだってこんな時間に書いていないはずだ。泣

 

 まあ、こんな不満をここにぶちまけても、得する人はあまりいないと思うので、もう少しましなことを書こう。2017年の11月にフィリピンから日本に帰国して、丸1年滞在したあとの初めての年越しとなるわけだが、まあ見事に印象の薄い1年となった。この28年の中で一番中身薄いが故に一番早く感じた。中身が薄い、ということは何も形になっていないし、何も面白いことができていないということ。まあここは来年の準備期間として割り切ってもいいのだが、本当に面白くない一年だった。この気持ちからくる焦りが、正月なんかどうでもいいじゃないかとおもわせてくれる。

 

 来年の12月31日にまた同じ内容のことを書いていれば、多分、これからも同じことが続くだろう。だから、来年、2019年は変化を起こす勝負の年となるのは言うまでもない。今までは人に雇われてきた人生。これからは自分で仕事、価値を生んでいく人生。いきなり会社をやめて目に見えてわかる変化を起こすのは難しいのはわかっていても、実現は1日でも早いほうがいいのは言うまでもない。極論かもしれないが、基本的に会社の運営は労働者の搾取の上に成り立つものなので、豊かな生活を送るには、やはり自分で仕事を作っていくしかないのだ。早いか遅いかはわからないが、フィリピンで会社員生活をしている時に気づいてしまったのだ。自分がどれだけ働いて会社に利益をもたらしていてももらっている給料は同じなのだ。従業員を雇っていることによって、払う給料よりも多く売り上げが見込める仕組みを雇用主は作っているのだ。じゃあ、なぜ自分がその仕組みを作る側に回らないのか?そう自分に問うてみたとき、答えは簡単だった。自分が仕組みを作る側に回り、今後、一緒に仕事をしてもらえる人には、できる限り最大限の幸福を味わってもらいたい。雇用する側もされる側もお互いに大きいメリットがある仕組みを作っていかないといけない。それがどのような形になっていくかはわからないが、農業という自然を相手にしている仕事のため、今までになかった形のメリットを作っていけると信じている。

 

 この記事を来年同じ日に見て、笑っていられるようでありたい。