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農業をすることの魅力

  • 著者:林 真司
  • 投稿日:2018年12月15日
  • 更新日:2020年2月5日

 記念すべきブログの第一弾となる投稿内容、というか、これからこれを続けていくわけだから、どのようなキャラ作りをしていくべきなのか、迷う部分が色々あるが、多くの方にこの記事が届くのはまだ少し先の事だということを鑑み、独り言のようなスタイルで書くのが最もしっくり来ると思うので、現時点ではそのような方向性で書いていきたいと思う。その時の記事内容や気持ちで、文章の印象が変わるかもしれないが、その点は予めご承知おきいただきたい。

 

 ブログの記念すべき第一弾投稿の始まりがよくわからない内容で申し訳ないが個人的に初回のブログでやりたくないことは、”ブログ始めました。皆さんこれからよろしくお願いします。”というような内容を書くことだ。だからそれは避ける。

 

 私が本格的に農業を始めたのは2017年12月、今日が2018年12月15日だから丁度1年程経ったことになる。実はこのブログの話は今年の1月頃からあったのだが、何かの手違いで今の今まで伸びてしまった。それまで仕事や日々の生活をしている中で思いついた発信していきたいことが浮かんでは消え、浮かんでは消え、を繰り返していた。だから内心早くこのページを完成させて欲しいと思っていたのだが、世の中の人は皆忙しい。結局第一弾が今日となった。

 

 だが、幸か不幸かは知らないが、第一弾のブログ投稿の準備が整い、今こうやってブログを書いている今日という日は家内との1周年結婚記念日でもある。12月15日という日に記念日が2つ重なるということで今後この日が特別になることを期待する。(ブログ第一弾の投稿記念日など聞いたことがない。)

 

 内容が標題とずれすぎているので、そろそろこの標題について書かなければならない。農業の魅力、つまりなぜ私が農業を始めることにしたのか、ということだ。

 

 大きくわけて3つあるが、一つ目は子どもの存在が大きい。私にはもうすぐ2歳になる娘がいる。農業を始める前には、私はフィリピン共和国で、あるIT系企業でサラリーマンをしていた。娘はフィリピンで生まれているので、当然その時には同じアパートで暮らしていたわけだが、そこから見える景色は狭くて暗いコンクリートで囲まれた牢屋のようなところだった。加えて、フィリピンの市街地は空気がかなり汚く、道路が狭く舗装もきちんとされておらず、渋滞が酷く、とてもではないが、子どもが遊べるスペースがある状況ではなかった。そのときに”この子をきちんとここで育てられるだろうか?”と自問したときに明らかに答えは”ノー”だった。日本に帰国すれば、そのようなスペースは都市部であってもそのようなスペースは多くあるし、私が住んでいる農村部はなおさらだ。また、時間にも融通がきくので、子どもと過ごせる時間も確保でき、調子を崩したときもすぐに病院に連れていける。会社員だとなかなかこうはいかない。

 

 二つ目の理由は生まれ育ったこの和歌山県紀の川市で、お金を落としてくれるような人が増える仕組みを作りたいと思っているということだ。言うまでもないが、日本全国では高齢化が進み、どの地方自治体も住民集めに苦労している。自分一人では何もできるとは思っていないが、自分が始めることによって、それを達成するための仲間を集めていたいと考えている。紀の川市の基幹産業は農業であるが、紀の川市の多くの農業は”業”になっていない。皆、農家のおっちゃん、おばちゃんというポジションを担っているだけなのだ。用は、農業をきちんと経営して、投資できる体力を作り、規模を大きくして、人も雇用して、価値生産量を増やして、県外から人が来る仕組みを作って、税金をきちんと納めて、市や県の経済に貢献できるようになりましょうということだ。それを最速でできる道を探し、実践します。

 

 最後の理由はフルーツは人々の健康に必ず寄与できると確信しているし、何より自分自身がフルーツ好きだからだ。フルーツが身の回りにある生活を考えるだけでもわくわくし、気分が高揚するように感じるのは私だけだろうか。フルーツを自分で栽培し、それを食べたお客様が”おいしい”と言うのを聞き、自分でも収穫したてをその場で頂く。さらにそれは健康にとても良い。こんな贅沢な時間があるだろうか。このように自分が好きなことをやるというのは今後サラリーマン的な生き方が主流ではなくっていくと言われているなかで、重要だと考えている。

 

 色々書いたが、今日は始まりにすぎず、今後追加、削除もありえるがブログの主なジャンルを”書籍”、”農園”、”思いつき”、”日記”、”時事”、”英語”として定期的に書いていきたいと思う。

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プロフィール
運営者の顔写真

イチゴ農家の次男として生まれる。
明治大学卒業後、地元の地銀に入行するも、会社のカルチャーが全く肌に合わず1年で退社。退社後すぐにフィリピン留学でフィリピンのアンヘレス地方、セブ島で計約半年過ごす。
その後オーストラリアでワーキングホリデーを約半年行い、他国の桁違いの農業を初めて知る。ワーキングホリデー中にセブ島の語学学校でマネージャーをする話が決まり再度渡比。
語学学校では入社後半年足らずで急に経営者が変わることになり、またもカルチャーが合わなくなり1年半で退社。
セブ島で転職活動をし、比系大手IT会社に入社。当時付き合っていたフィリピン人の彼女(現妻)の妊娠出産がきっかけで1年で退社し、いつかは必ずやろうと思っていた農業をすることを決意し帰国。