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若き頃の過ち

  • 著者:林 真司
  • 投稿日:2018年12月19日
  • 更新日:2020年2月5日

 誰でも若い頃は、とんでもない勘違いをしたり、振り返って考えると恥ずかしくて顔が赤くなるような想いをしたことがある人はいるはずだ。できれば誰にもいわず墓場まで持っていきたいというようなことは1つや2つ誰でも持っているものだろうと推測する。

 

 私も若いころ、といっても10年も前にならない大学生の頃の話しなのだが、田舎と都会の優劣を激しくつけていて、東京に出ている自分は最強だと思っていたのだ。冗談ではなく東京の大学に行っているだけで、地元に帰ってきたときは大きな顔をして友人に会ったり、地元の店を鼻高々と自分が有名人になったかのように散策していたりしていた。地元に帰ったときは、地元の店の買い物客などを見て、心の中で、”自分は東京で生活をしており、この人たちとは違うのだ”と思っていた。何が違うのかと言いたい。ああ、恥ずかしい。考えてみれば簡単にわかるが、東京の大学に行っているだけでは、何者でもないのだ。そんな簡単なことでさえわからないのは、若き頃の過ちと言いたい。和歌山の場合、高校生の次のステージは関西圏になるのが主流であるため、僕のように東京に出るのは比較的マイノリティーだということもあり、「東京どうよ?」や「やっぱ大阪とは比べ物になれへんやろ?」という質問も多く、自然と調子に乗ってしまうというのも否めない。

 

 もし、東京に行きたい、という僕より若い人がいたら、確固たる目的がない限りはおすすめしないだろう。「東京で社会人経験を積みたい」、「東京みたいな大都会でフリーターでもいいから生活してみたい」などの理由で東京にいくのははっきり言って時間の無駄だと思う。私みたいに東京にいくこと自体が目的になってしまってはいけないのだ。なぜかというと、東京圏で生活している人は当然だが日本で一番多く、そこにオリジナリティーも価値もクソもないからだ。東京でサラリーマンをするのであれば、地方で自分にしか提供できない価値を創造し、それをわかってくれる人に提供していければ良いと思う。ネットのおかげで地方にいても全国の人とつながることは可能なのだから。

 

 東京に行く前も行ってからも、自分は東京で学生をしているから地元のスターで、地元はコンプリートしたと思っていたが、考えてみると紀の川市の人口は、6万人台。誰が私のことを知っているだろうか?おそらくこの6万人のうち1,000人もいない。どれだけ勘違いがひどかったか考えるだけでも恥ずかしい。地元で就農するとわかるが、近所の同じ地区の人でさえ、私のことを知らないのだ。誰が、地元のスターだ。無目的に東京にいき、何もコンプリートしないよりは、田舎で自分ができることを形にし、それを成果とできれば、自然と地方でも知名度があがり、スターにはなれるが、東京にいるだけでは全くスターにはなれないのだ。

 

 今はファームの規模拡大のために、土地の交渉を含め、同じ地区の人たちのお宅にまわることがあるのだが、まあ見事にお互いのことを知らない。近くに住んでいるのに、完全に初めましてなのだ。東京にいく前から、東京偏重の考えを捨て、地元の人々と交流していれば、話をしにいくときにあんた誰?状態から始まることはなかっただろうし、もっとスムーズに交渉もできたに違いない。交渉に関して言うと、どんなにビジネス書を読んで、交渉の極意やノウハウ、もしくは実践を積んできていても、農業の場合、相手はビジネスマンではなく、地方のおじいいちゃんだったりし、耳が満足に聞こえない状態であることがある。どちらが交渉するのが難しいかは明白である。

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プロフィール
運営者の顔写真

イチゴ農家の次男として生まれる。
明治大学卒業後、地元の地銀に入行するも、会社のカルチャーが全く肌に合わず1年で退社。退社後すぐにフィリピン留学でフィリピンのアンヘレス地方、セブ島で計約半年過ごす。
その後オーストラリアでワーキングホリデーを約半年行い、他国の桁違いの農業を初めて知る。ワーキングホリデー中にセブ島の語学学校でマネージャーをする話が決まり再度渡比。
語学学校では入社後半年足らずで急に経営者が変わることになり、またもカルチャーが合わなくなり1年半で退社。
セブ島で転職活動をし、比系大手IT会社に入社。当時付き合っていたフィリピン人の彼女(現妻)の妊娠出産がきっかけで1年で退社し、いつかは必ずやろうと思っていた農業をすることを決意し帰国。