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英語力の価値

  • 著者:林 真司
  • 投稿日:2018年12月22日
  • 更新日:2020年2月5日

 先日ミス・ユニバース2018がタイのバンコクで行われ、フィリピン代表が栄冠に輝いた。普段はミス・ユニバースなどどこの国の人が優勝しようとあまり関心を示して来なかったが、今回はフィリピン代表が優勝したということで、私のフェイスブックのタイムラインが大変なことになってしまったのだ。奇しくもフィリピンで3年もの時間を費やしてしまった私は、フェイスブックで多くのフィリピン人とつながっている。それもあって、しかも女性の美しさにかけては敏感なフィリピン国民はこのようなニュースがあった場合、即座にフェイスブックに記事を投稿、シェアする。その結果として、生まれて初めてミス・ユニバースに着目し、記事を色々と読んでしまうはめになった。

 

 優勝した、フィリピン代表はもちろん、ニューハーフのスペイン代表やセーラームーンの衣装を使った日本代表なども注目されたようだが、負の側面として、アメリカ代表が、ベトナム代表やカンボジア代表の英語力の無さについて見下すような発言があったようだ。

 

 英語の非ネイティブ話者としては非常に破れない壁のようなものを感じ、悔しさが無いわけではないが、一般的に考えて、英語という言語には他の言語にはない価値あるのは事実。英語を学びたい人、もしくは学ぶ必要にせまられている人は世界で一番多く、他言語に比べて英語を教えられる人、母語として話す人の価値は自然と高まる。英語は母語話者よりも第二言語話者のほうが多い唯一の言語であることからも、英語の母語話者の価値が高まっている。世界に出ている情報量も英語が断トツで多く、英語ができないことのハンデは大きい。

 

 私はフィリピンから帰国後も地元の英会話レッスン教室で週に一回授業を受けているのだが、そのイギリス人の講師が言っていたことを思いだした。曰く「私は英語を母語として話す人間として生まれてラッキーだ。日本で私が日本語を理解しなくても周囲の人が英語で話しかけようとしてくれるので生活できるが、英語ができない日本人が私の国(イギリス)に来たら生活できる?きっと無理だよね。」”ラッキー”という言葉が私の胸にひっかかった。そう、これはラッキー、幸運以外の何者でもなく、生まれたときに決まっているもので自分で覆すことは基本的にはできないのだ。幸運によって母語としての英語力を持っている人が持っていない人に対して見下した発言をするのは、少し違う気がする。背の高低や容姿の良し悪しは世間的に暗黙の了解として、言わなくとも何を良いとするかは皆共通認識があるので100歩譲って理解できたとしても、言語には優劣はないはずなので、それを見下すのは理解し難い。もし、今回の見下す発言が英語が流暢な非ネイティブ圏の国代表によるものであったなら、条件が比較的同じなので、バッシングされることはなかったかもしれない。

 

 ただ、英語はできないよりはできた方が良いのも事実。これからは自動翻訳が発達して、お互いに言葉が通じなくても翻訳機を通じてコミュニケーションが即座にとれる時代がすぐ目の前に迫っているという話もあるが、自分の能力を示す一つの手段として、英語ができることは一種のステイタスになると考えることもできる。今回のベトナム、カンボジア代表も英語ができれば見下されなかったとかもしれない。コミュニケーションにおいては英語力は翻訳機の登場により必要ないかもしれないが、ステイタスという面においては機能し続けると思う。翻訳者、通訳者という仕事はなくなっても、英語ができる人ブランドは翻訳機が登場してもしばらく続く可能性はある。英語でコミュニケーションをとるということは翻訳機が解消するが、英語が話せることに対する憧れの解消は、翻訳機では不可だからだ。

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プロフィール
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イチゴ農家の次男として生まれる。
明治大学卒業後、地元の地銀に入行するも、会社のカルチャーが全く肌に合わず1年で退社。退社後すぐにフィリピン留学でフィリピンのアンヘレス地方、セブ島で計約半年過ごす。
その後オーストラリアでワーキングホリデーを約半年行い、他国の桁違いの農業を初めて知る。ワーキングホリデー中にセブ島の語学学校でマネージャーをする話が決まり再度渡比。
語学学校では入社後半年足らずで急に経営者が変わることになり、またもカルチャーが合わなくなり1年半で退社。
セブ島で転職活動をし、比系大手IT会社に入社。当時付き合っていたフィリピン人の彼女(現妻)の妊娠出産がきっかけで1年で退社し、いつかは必ずやろうと思っていた農業をすることを決意し帰国。