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フィリピン留学について 続き

  • 著者:林 真司
  • 投稿日:2019年1月20日
  • 更新日:2020年2月5日

 先日はフィリピン留学について少し書いたが、今日はその続きを書きたいと思う。先日のブログでは結論を簡単に初中級者にはあり、上級者にはなしと述べた。上級者にはない理由として発音が微妙という欠点をあげた。前回のブログではここまで書いたと思う。

 

 今日は二つ目と三つ目のポイントについて、私の観点をお伝えしたいと思う。

 

 前回は二つ目の欠点として”なんだかんだいって教科書英語”というのをあげた。フィリピンでは、基本的に教科書に書かれている文構成によってしか基本的にはコミュニケーションが取れないため、ネイティブがよく使う言い回しなどを覚えることができない。

 

 まずは最も親しみがあり、かつ、最も頻繁に使う表現の一つである”How are you?”。これとほぼ同じ意味をさす言葉の表現として、多少くだけてはいるが、”What’s up?”や”How is it going?”などの言葉もあるはずだが、フィリピンではあまり聞かない。これは教師と生徒の関係だから、How are you?を使うわけではなく、友達同士であってもこうなる。

 

 他にはごく一例すぎて申し訳ないのだが、例えば、約束の日程を決める際に、曜日と日にちが噛み合わないメッセージをラインで送ってしまったとする。今月の1月30日に会う約束をするなら、30日は水曜だが、「じゃあ、30日の木曜日に会おうね」といった感じだ。それに対して受け取った側は、「30日は水曜日だけど、どっち?」となるはずだ。それに対して、送った側の返事は、もちろん人によって違うがネイティブの場合「Sorry about the mix up」という選択肢はあるが、フィリピンの場合この選択肢はない。フィリピンの場合おそらく「I’m sorry for confusing you. It’s actually ~」くらいだろう。

 

 あと、ネイティブに比べて、語彙が少ないので、もし生徒が上級者だった場合、生徒が、この先生この単語知ってるかな?とか考えながら授業を受ける必要がでてくる。例えば、”edible”という単語があるが、これは野菜含めた、野生の植物等が食べられるということを指す単語だが、会話の中で、この単語を使うと理解してくれないケースが多々あったので、”Is this edible?”ではなく、”Can this be eaten?”と言い換える必要があったりする。lucrativeは常にprofitableだし、devastatedはsadである。笑

 

 三つ目のポイントだが、文法に弱いというのがあり、これが最も上級者としては辛いところだろう。上級者ともなれば、基本的な文法はほぼ間違いなく、使うことができると察するが、フィリピンでは語学学校の先生が普通に間違えていたりする。知っていたら幸いだが、知らなかったら間違って覚えてしまうので、普通に危険である。

 

 よくある間違いの中の一つにIf節の中にwillを入れるというもの。例えば

○If you go, I will go.(君が行くなら僕も行く)
×If you will go, I will go.

 

 他の例として
○Did you have your hair cut?
×Did you cut your hair?

 

 これだと、普通に髪を切っていてもNoと答えてしまう。そしてあとに無駄なやりとりが続く。
Teacher: Did you cut your hair?
Student: No, I didn’t.
Teacher: But your hair changed.
Student: Yeah, but I did not cut my hair.

 もはやコメディーである。

 

 以上のような理由から、私は上級者にはフィリピン留学をおすすめしない。時間とお金の無駄になるからだ。もちろん、夜の遊びや観光、アジアの空気を味わいたいなど、別の目的を含めた留学にするのであれば別の話だが、英語だけを目的にするのであれば、ネイティブ国に行かれたほうがよい。

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プロフィール
運営者の顔写真

イチゴ農家の次男として生まれる。
明治大学卒業後、地元の地銀に入行するも、会社のカルチャーが全く肌に合わず1年で退社。退社後すぐにフィリピン留学でフィリピンのアンヘレス地方、セブ島で計約半年過ごす。
その後オーストラリアでワーキングホリデーを約半年行い、他国の桁違いの農業を初めて知る。ワーキングホリデー中にセブ島の語学学校でマネージャーをする話が決まり再度渡比。
語学学校では入社後半年足らずで急に経営者が変わることになり、またもカルチャーが合わなくなり1年半で退社。
セブ島で転職活動をし、比系大手IT会社に入社。当時付き合っていたフィリピン人の彼女(現妻)の妊娠出産がきっかけで1年で退社し、いつかは必ずやろうと思っていた農業をすることを決意し帰国。