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フィリピン留学って実際どうなの?

  • 著者:林 真司
  • 投稿日:2019年1月15日
  • 更新日:2020年2月5日

 ご存知ない方も多いかもしれないが、実はフィリピン国内では英語が公用語となっており、学校の授業では英語が使われているし、文書は英語で書かれていることがほとんどである。ビジネスのミーティングでも基本的には皆英語を使う。

 

 そういうことから、フィリピンで英語を勉強するというフィリピン留学が日本国内でそこそこの人気を集めている。もともとは韓国人が考え出した留学で、7,8年くらい前までは、学生の90%近くが韓国人だったのが、今では日本や台湾、ベトナム、タイ、中国などもからも学生が来るようになっており、韓国人学生は最近は影を潜めている。

 

 このような状況から、韓国資本の学校が減り、日本人オーナーの学校が増えてている。実は私が過去に社員として働いていた某語学学校も、韓国資本だったのが、M&Aにより日本資本となった経緯がある。

 

 さて、タイトルにある通り、フィリピン留学の実際のところを書いてみたいと思う。念のため言っておくと、私は過去はそうだったかもしれないが、今はフィリピン留学の関係者では全くない。学校運営経験、留学経験ありの現在無関係者だからこそ書けることを、批判を承知で、正直に書いてみたいと思う。(留学エージェントの方ごめんなさいね。)ただ、あくまでもこれは私個人としての意見であるということをご理解いただきたい。

 

 結論から言うとフィリピン留学は、初中級者にはあり、上級者にはなし、といったところだと思う。

 

 なぜ、初中級者にはありなのかというところだが、学習の基本であるインプットとアウトプットを大量に繰り返すことができる。マンツーマンクラスが多いため、自分が何かアウトプットしないと授業が前に進まない。英語ネイティブ圏への留学となると、グループが基本となり、さらにヨーロッパや南米など、周囲の目関係なしに喋りまくる国民性をもっている学生も多く、対等にやりあうとなれば、ある程度の英語力は必要となる。また、フィリピンの場合は同じアジア圏ということもあってか、親和性が高く、日本人に対してある種のリスペクトを持っているケースが多く、高圧的な態度をとることが少ない。(その日の気分で授業のテンションが変わることはある。プライベートの出来事を仕事に持ち込むこともざら。笑) 細かい他のメリットはあるが、そこは留学エージェントの謳い文句なので、ここで書く必要なない。ポイントは大量のインプットとアウトプットを周囲の目関係なく早いスパンで回していけるということ。

 

 もう一つ、ここがポイントだが、なぜ「上級者にはなし」なのかというところ。理由は大きく3つ。

 1、発音が微妙=リスニング力も怪しい

 2、なんだかんだいって教科書英語

 3、文法に弱い

 

 一つ目の発音が微妙というところだが、これは日本人にとって聞き取りやすいということでもある。要するに、一つ一つの単語がリエゾンすることなく独立して話すため、ゆっくり聞こえるのだ。これは逆にいうとネイティブ並みの英語力を身に付けたい人にとってはかなりの痛手。フィリピン人の英語に慣れてもネイティブの英語には一生慣れることはできないのだ。シンプルな例をあげる。

フィリピン ”I like him” (アイ ライク ヒーム)

ネイティブ ”I like him” (アイ ライキム)

 

 極端ではあるが、こういうことだ。ネイティブ英語であれば、(どこの国の地域をネイティブとするかにもよるが)、基本的には”h”の脱落が起きるが、フィリピンではそれがない。またなぜか”him”が強調されるため、”ヒーム”という少し伸びた感じの響きになることがある。やはりフィリピンで学べるのは訛りのあるフィリピン英語なのだ。”th”の発音についても”t”と同じような発音しかできない先生もいるし、その辺は覚悟しておく必要がある。発音は正直いって微妙、というか、はっきり言って訛っている。(もちろん講師によって差がある)。

 

 次の2と3の項目については、次回のブログで解説をします。

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プロフィール
運営者の顔写真

イチゴ農家の次男として生まれる。
明治大学卒業後、地元の地銀に入行するも、会社のカルチャーが全く肌に合わず1年で退社。退社後すぐにフィリピン留学でフィリピンのアンヘレス地方、セブ島で計約半年過ごす。
その後オーストラリアでワーキングホリデーを約半年行い、他国の桁違いの農業を初めて知る。ワーキングホリデー中にセブ島の語学学校でマネージャーをする話が決まり再度渡比。
語学学校では入社後半年足らずで急に経営者が変わることになり、またもカルチャーが合わなくなり1年半で退社。
セブ島で転職活動をし、比系大手IT会社に入社。当時付き合っていたフィリピン人の彼女(現妻)の妊娠出産がきっかけで1年で退社し、いつかは必ずやろうと思っていた農業をすることを決意し帰国。