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石の上にも三年

  • 著者:林 真司
  • 投稿日:2019年1月7日
  • 更新日:2020年2月5日

 聞き飽きた言葉かもしれません。”石の上にも三年”とは、説明は不要かとは思いますが、冷たい石の上でも長い間座り続ければ温まることから、「何事も忍耐強さが大切だ」という意味や「つらいことでもあきらめずに続ければ成果が得られる」という意味の格言として使われているようです。

 

 僕もこの言葉を何回も聞いてきました。小学生の頃から、毎日のようにこのような価値観を擦り込まれ、辛いことでも我慢して最後までやり抜かないといけないんだと思わされ勉学やスポーツに励んできたように思います。今から思うと、これって本当に怖いシステムで、人から考える能力を奪ってしまうんですよね。だって、現在はどうかわかりませんが、少なくとも僕が受けてきた教育は、目の前にやることを与えられ、意味があるか、実用的かどうかは横に置いておき、最後まで先生の言うことを忠実に、悪く言うと盲目的にやっているのが評価されるんですから。レールを外れることなく、みんなと同じことをするのが、一番良い選択肢なんだと教えこまれてきました。たぶん、僕は周囲の友達よりも、この教えを忠実に飲み込みすぎたんだと思いますが、高校では、野球部という兵隊育成プログラムで主将を務め、評定平均も5段階で4.9と悪くない成績でした。与えられたことをこなす機械としては優秀ですが、逆に言うとそれ以外はできない全く使えないやつになっていたのです。大学入学後、それが如実に現れます。話が少し逸れてしまいそうなので、その話はまた後日するとします。

 

 僕は大学を卒業後、地元の地方銀行に就職しましたが、勤務2日目にして退職を決意しました。大学生のくせにビジネス書を多く読んでいたのが理由かどうかわかりませんが、新入社員だから1日でも早く仕事を覚え、社会人として、ビジネスマンとして一流になってやろうと燃えていました。ですが、初日の入社式、配属支店への挨拶を終えた後の2日目が勤務開始という内容だったのですが、僕が2日目にしたのが、草むしりだったのです(笑)。銀行員でも草むしりするんだ。と思ったんですが、それよりも、上司の「新入社員はまずは草むしりからだ」という言葉を聞いて、この会社ダメだな、と思ってしまったんですよね。この2日目に感じた違和感は当たっていて、その後半年間は、デスクにただ座って、社内規定を読む毎日。周囲が忙しく動いているのに、自分はデスクに座っているだけ。自分の心の中の炎がだんだんと小さくなっていくのが感じ取れました。社会人ってこんな感じなのか?人生は限りなく短いのに、こんな不毛なことに時間を消費していいのか、と焦りがどんどん募っていったのを覚えています。退職の旨を伝えたのが、半年後の10月。そのときは、得意の「石の上にも三年」攻撃で、丸め込まれてしまい、退職が決まりませんでした。僕が面白くなさそうに仕事をしている姿を見て、上司や先輩は皆、口を揃えたように「石の上にも三年」ということを僕に言ってきました。気持ち悪いくらいに皆同じことをいうので、何か社内教育マニュアルみたいなものに、書かれているのかなと思ったくらいです(笑)。翌年1月にゆるがない気持ちを伝えたところ、また「石の上にも三年」攻撃をされたのですが、今度は同じ攻撃ではやられませんでした。辞めますとはっきり言うことができました。会社選びを完全に間違っていたのですが、結局退職したのが、1年経ったあとの4月。忘れませんよ、最後の上司の言葉。

 

 上司「もったいないね。」

 僕「何がですか?」

 上司「会社はお前に払ってきた給料分を利益として回収できていない。お前の給料分は会社として損失。」

 

 このときに僕はこの会社を辞めて正解だったと確信した。給料なんて全額あんたにやるから、僕の1年という時間を返せ。ましてや3年なんてこの会社に僕の時間を費やしていたら、もう本当に使えないやつになっていただろう。

 

 石の上にも三年という言葉があるが、そもそもこの3年の意味は長期間を指すのであって、3年という決まった時間を指すわけではないのに、皆が3年は最低でもやらないとね、、、といったことを言う。3年も無意味なことをやっている時間ははっきり言ってない。違うなと思ったら、3年どころか1年、もっというと3日で辞めてもいいと思う。皆んなが言っているから正解、という考え方は自分らしい生き方をするのであればとても危険で、僕が今一番遠ざけなければいけないと思っている考え方です。本当に過去に受けた教育の質が悪いので、もう自分で死ぬまで勉強、自分を教育し続けていくしかありません。

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プロフィール
運営者の顔写真

イチゴ農家の次男として生まれる。
明治大学卒業後、地元の地銀に入行するも、会社のカルチャーが全く肌に合わず1年で退社。退社後すぐにフィリピン留学でフィリピンのアンヘレス地方、セブ島で計約半年過ごす。
その後オーストラリアでワーキングホリデーを約半年行い、他国の桁違いの農業を初めて知る。ワーキングホリデー中にセブ島の語学学校でマネージャーをする話が決まり再度渡比。
語学学校では入社後半年足らずで急に経営者が変わることになり、またもカルチャーが合わなくなり1年半で退社。
セブ島で転職活動をし、比系大手IT会社に入社。当時付き合っていたフィリピン人の彼女(現妻)の妊娠出産がきっかけで1年で退社し、いつかは必ずやろうと思っていた農業をすることを決意し帰国。